生きているんだよな

ひとりごと

生きているんだよな

ブログをはじめました

ブログに登録してみた。

自分自身が考えていることを、言語化して整理してみたくなったから。

 

私ね、自分でも自分のことを理解できないんです。

昔から、他人に自分の気持ちを話すことも苦手なんです。

アラサーにもなって何を今更、と笑われてしまうかもしれないけれど。

ここで、ひっそりと、独り言を呟くつもりで、自分の頭の中身を整理していけたら、と思う。

 

今年もまた3.11がやってきた

今年もまだ、私は生きている。

 

あの日、予定通りの行動をしていれば、私は津波に流されていたかもしれない。

けれど、予定通りの行動をしなかったから、私は津波に流されず、今ここにいる。

 

22歳だった私が、29歳になった。7年も経った。

小学1年生だった子が中学2年生になっている。

色々なことを経験して、学んで、傷つき、傷つけ、泣いて、笑って、そんなことを繰り返しながら、たくさんのことを吸収して、どんどん成長している。

けれど私は何も変わっていない。寧ろ、ダメな方へダメな方へと、進んでいる気がする。

 

震災の後、何故だか無性に独りになりたくて、実家から遠く離れた所へ行って仕事をしたり、その後、結局実家に帰ってきて親のコネで就職したり、職場でのパワハラと恋人からのDVのダブルパンチで精神を病んで仕事を辞めたり、警察のお世話になったり、依存症で自己破産したり、その依存症を治せないまま今も生きていたりして、振り返ってみると本当にこれっぽっちも成長していない。

 

被災地のことは、ローカル番組では普段から報道されているけれど、3月11日が近くなると全国ネットの番組でも取り上げられる頻度が増える。

家族、友人、恋人を亡くした人たち、家を失った人たち、家があってもそこには戻れない人たち。

そんな人たちが、顔を上げて、少しずつでも前に進んでいっている姿を目にする機会が更に増える。

何も失っていない私なんかよりも、遥かに辛い思いをした人たちの方が頑張っている。

 

どうして、自分なんかが助かってしまったのだろう、と思う。

私なんかよりも、生きるべき人たちが、必要とされる人たちが居た筈だ。 

そう思いながら、14時46分に、海が見える高台にある公園で、黙祷をした。

何も失っていない私が泣くのは、なんだかオカシイ気がして、グッと堪えた。

 

いつまで、この気持ちを抱えたまま生きていかなければいけないんだろう。

死ぬタイミングなら、いくらでもあった。

でも、今、ここで、私という人間が、生きている。

 

申し訳ない。

けれど、どうしたらいいのか、わからない。